ことばのちから

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「国土学」と「比較学」のすすめ

江戸時代を超えるはるか昔から、営々と努力してきて、やや極端な表現かもしれないが、今日のわが国土は、長年にわたる土木的行為の集大成として現前している。道路・港湾・空港はもとより、山林・農地・河川・湖沼・海岸などの現在の姿はすべて何らかの土木的営為を受けて存在している。つまり過去の人々の努力の成果を引き継いで、われわれの暮らしを支える環境は成り立っている。小泉信三氏は「よりよい国土にして、次世代に引き継いでいかなければ不面目ではないか」と言われたが、われわれ現世代の努力が十分なのか、不十分なのかは、過去世代人の努力量と比較することで判断できる。過去世代人の努力の恩恵の上に今日あるわれわれが、次世代人のためには努力しないとは言えないからである。

「道路を無視してこなかった欧米諸国」は、当時の整備水準で止まったままなのではなく、今日、往事に比べてはるかに稠密で階層性あるネットワークを完成させている。その理解がなければ、今後のわが国の道路整備のあり方を議論できない。他国並みに競争力を向上させなければ、次世代の人々が現在の生活水準を維持できないとの認識すべきだからである。またこのようないい方もできよう。自動車普及の初期には、ぬかるみで走れない、ホコリだらけで迷惑だと批判され、これを改善すべく舗装を行うことが道路整備と同義だった時代もある。今日道路が舗装されていることは当然の時代となると、評価の内容は変化しなければならない。たとえば、電力やガスなどのライフラインは道路空間に収容されているが、その補修と容量アップのためによく道路を掘り返す。それをEU 主要国のように共同溝を用意し、占用工事渋滞などによる国民経済的損失が生じないようになっているかで、都市内幹線道を評価する必要がある。また、その道路は都市に豊かな緑をもたらしているかとか、歩行者と自転車を分離できるだけの空間を備えているか、などが沿道や地域の状況にふさわしく完成しているかどうかが評価となる。また、ネットワークで見れば、高速道路から市町村道に至るまで、階層的にサービスを提供できているか、などが評価軸だ。

第11回論説(2) 「国土学」と「比較学」のすすめ | 土木学会 論説委員会