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ことばのちから

世界は言葉でできている。

2つの時間

 人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。株式市場では100万分の1秒の単位で、何兆円ものカネが利益を競い合う。遅れれば負けのゲームである。秒針に背中を押されて、人は僅かな変化にも新しい価値を探そうとする。

▼古い一枚の写真のように、止まった「時」の価値もある。「記憶」と言い換えてもよいかもしれない。何年たっても変わらない。忘れられない。忘れてはいけない。2011年3月11日の14時46分が、その時だった。あれから3年が流れた。復興で生まれ変わった景色もある。傷ついたまま変わらない心の中の情景もある。

▼「時よ止まれ、おまえは美しい」。文豪ゲーテの戯曲「ファウスト」で、理想国家の建設を夢見る老学者が思わず口にする言葉である。3.11の惨事が起きる瞬間。その直前までの美しい姿のまま、被災地の時が止まっていれば、と夢想することもある。それでも再建に心血を注ぐ人間の知恵と努力は、間違いなく美しい。

▼早く過去と決別し、未来に進みたいという声がある。記憶の風化を恐れる声もある。そのどちらも大切にしたい。心配は要らないのかもしれない。2つの「時」の価値を行き来しながら生きる能力を、たぶん私たち人間はみな備えている。ゲーテはこうも語っている。「毎日を生きよ、あなたの人生が始まった時のように」

人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。株式市場では100万分の1秒の単位で、何兆 :日本経済新聞