ことばのちから

世界は言葉でできている。

無念

 A・ガードナーという英国のコラムニストが書いている。「人間というものは、いくつかの習慣に上着とズボンを着せたような存在である」(行方昭夫訳)。そう、人生のほとんどは「いつものように」過ぎていく。しかし、そこに割り込んでくる何事かも、またある。
▼父の会社で働き、父の運転する車でともに外回りをし、会社に戻る道々遮断機が下りた踏切で電車が通り過ぎるのを待つ。そこまではいつもとなにも変わらぬ日常だっただろう。だが、そこで村田奈津恵さん(40)は線路に横たわる男性(74)を見つけ、車を飛び降りて踏切内にはいり、男性を救って自らは命を落とした。
▼「助けなきゃ」。父が止めるのを振り切った奈津恵さんの、それが最後の言葉だという。たしかに人間は習慣が衣服を着たようなものかもしれない。が、それだけではない。前触れもなしに人生に割り込んでくるできごとにどう向き合うか。咄嗟(とっさ)だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく。そんなことを考えさせられる。
糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。「おやより さきに しんでは いかん/おやより さきに しんでは いかん/ほかには なんにも いらないけれど/それだけ ひとつ やくそくだ」。子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。


日経新聞 春秋 2013.10.3