ことばのちから

世界は言葉でできている。

管理は依存を生む

管理は依存を生む。

何もかもやってしまうと「何もしなくてもいい」と思ってしまう。生きる意欲を失わせることにつながる、基本的に管理しない。本当に必要なサポートだけ本人が望む場合にのみ行う。

人生の撤退戦を行なってゆく。
痛みだけはきちんと取り除く、心の不安も取り除く。
外部リソースを活用しながら「生活者のまま亡くなっていく」サポートを銀木犀は行う。

テレビ東京 カンブリア宮殿 シルバーウッド社長 下河原忠道

www.tv-tokyo.co.jp

昨日の自分を超えていく

世阿弥の教えで私が最も感じ入ったのは、自己更新という考え方です。人間は常に自分自身を成長させる努力を続けるべきだと世阿弥は言います。少し厳しく聞こえるかもしれません。一方で、「他人と自分を比べてくよくよしなくていい」ということでもあります。そう考えると、少し肩の力が抜けて、心が軽くなりませんか。
要は「昨日の自分を超えていく」ということです。他人と比べるのではなく、昨日の自分がライバル。
今日の自分がどんなに格好悪くても、明日の自分が今日より一歩、前進していればいい。だから人生に失敗なんてない。すべての経験は明日をよりよく生きるための糧だと考える。言い換えれば、「自分史上最高」を常に目指していく生き方です。

高田明と読む世阿弥、P7 より

客観視と自己検証

世の中がおかしくなってるのではなく自分の感覚が古くなってるということを考えられること。長く残ってる人は客観視と自己検証を繰り返し、これまでの心の拠り所としていた固定観念を捨てられる器量と、またゼロからやっていける自信みたいなものを持ってる。何よりもその過程すらも楽しんでる。

https://twitter.com/ka2aki86/status/962700800689520642

仕事におけるエンゲージメントとは

人事コンサルティング会社ビヨンド・グローバルの森田英一社長によると、エンゲージメントは「会社の目指す方向と自分のやりたいことが合致している状態」を指すという。

エンゲージメントにはもともと「結婚」「婚約」という意味がある。仕事におけるエンゲージメントとは会社(組織)とそこで働く個人が幸せな結婚をしている状態と思えば分かりやすいかもしれない。日本語に訳すときは「(仕事への)熱意」という言葉がよく使われる。

ファストフード店でマニュアルどおりに作業するアルバイトは、「まじめ」かもしれないが「エンゲージメント」の度合いは高くない。言われたことを忠実に守っているだけだからだ。逆にもっと働きやすい職場をつくるために、マニュアルの改善を提案するような従業員は「熱意(エンゲージメント)」が高い。仕事に主体的に向きあう姿勢があるからだ。

「品質」とは

さて「品質」とは何でしょうか?品質管理に関する規格であるISO9000に定義が示されていますが、非常に広範囲な概念を含んでいます。かみ砕いてみると「顧客が求める要求との合致度が高い」場合に「品質が高い(良い)」と言えるようです。

http://www.obayashi.co.jp/technology/shoho/greeting/greeting.html

変化が不可避的ならば先鋭的に行け

重要なのは、起こっている変化が、不可避的(Inevitable)であるならば、それが劇薬ではあっても、行き着く所まで先鋭的に行ってみることです。そして、最も重要なのは、往く道を行き着き、未来を追憶するように、還ってくる視線で現在を俯瞰することです。

http://j-bim.gloobe.jp/column/index.html

まずは自分の「現場」を磨け

「現場」という言葉は魔物だ。
英語で直訳できる言葉はない。
ある種の製造業において「現場」とはあくまでも「製造現場」を指す。
他のあらゆる部門は「現場を知らない」部門だ。
「営業現場だって現場ですよね」という言葉を、
「”一般的には”そうは言いません」と一蹴されたことがある。
しかし別の会社では、営業を現場と呼び、マーケティングやバックオフィスを
「現場を知らない連中」と嘲笑している。
マーケターが、経営者のことを「現場を知らない」と批判しているのを
聞いたこともある。
経営者が「我々は日々経営の現場で戦っているのに、コンサルや銀行の連中は
言うだけでいいからラクだよな」と言っているのもよく聞く言葉だ。
かと思えば、コンサルタントが「民間の現場はそんなに甘いものじゃないですよ」と
官僚を諭したりもする。
銀行員が「大学を出て民間の現場を経験せずにそのまま教師になる制度は
おかしい」と教員を批判しているかもしれない。
「私は現場・現地・現物の三現主義です!」と経営者が強調するのは毎度おなじみのシーンだし、
対して「現場なんて来たことねえくせに」「”院長回診”が三現主義かよ」という批判もまたおなじみだ。
壮大なる現場の入れ子構造
現場のマトリョーシカ
そこには、ある種のルサンチマンとともに、自らのもつ現場への誇りと
他者への蔑みが混然一体となっている。
いったい現場はどこだ。
それはすべての人にとって目の前にあるものそのものだろう。
他の誰かを「現場を知らぬ」と批判する前に
自らの現場をピカピカに磨きあげよう。

https://www.facebook.com/hiroshi.hashiguchi.31/posts/476842105688557